2012年7月8日日曜日

検証 現県立美術館(平野政吉美術館)の移転理由の正当性について


現県立美術館(平野政吉美術館)


新県立美術館


 秋田市中通再開発地区に建設中であった新秋田県立美術館が6月29日に完成したと言う。
 2006年5月に突然、県庁職員による案として発表されて以来、現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を移転新築しなければならないとされる理由が、県や県議会によって主張されたが、これらの理由が果たして正当で合理的なものであったのか。県民の意見を反映するプロセスを経たものであったのか。検証してみたい。

 そもそも美術館や美術作品は、街のにぎわいのために建てられたり、造られるものではない。美術館は人々が優れた芸術作品に触れ合い、心を充足させ、何かを感じる場所であり、そのような充足感を求めて人々が集う。
 県立美術館(平野政吉美術館)の移転を、県が持ち出した時、当初から藤田嗣治の「秋田の行事」を再開発地区の「にぎわい」の目玉にしたい。「にぎわい」に繋げたいということが主張された。このそもそもの理由こそが、人々の心を豊かにするためにあるという美術館本来の目的からかけ離れており、いわゆる「ハコモノ行政」「土木行政」推進の移転理由であったようだ。
 「秋田の行事」を始めとした藤田嗣治作品を再開発地区の「にぎわい」に結びつける着想そのものが誤りであり、美術館の本質、美術品の本質から既に逸脱していたのである。
 その後、次々に言われたそのほかの移転理由はすべて、現在の県立美術館(平野政吉美術館)において対応可能なものばかりであったようだ。
 「現県立美術館の老朽化、耐震補強工事の必要性」 ― いずれも現県立美術館において必要に応じた改修工事、耐震補強工事などが可能である。しかし、当時、財団法人平野政吉美術館(現公益財団法人平野政吉美術財団)が求めた耐震診断さえ、結局、秋田県はなぜか実施しなかった。
 「県有地との相殺により、県支出がほとんどなく、新美術館が建設できるので財政上有利だ」という理由付けもされたが、その後、県支出が9億円になることが分かった。しかし、それでもなお、県は改修より有利だと主張し、移転計画が進められた。(実際は、新築20億円、大規模改修10億円《県の試算》である)そこにどんな理由を付けてでもハコモノ行政を推進しようとする強硬な姿勢と、「県」(官)が絶対的な正義であるかのような独善性が見えた。
 そのほか、現県立美術館(平野政吉美術館)の丸窓からの採光形式による自然光が絵に悪い。現県立美術館(平野政吉美術館)の入場者数が少ないなどを問題だとし、移転新築が必要だと言う議論が県議会でされたがこれらの理由も正当性を欠いていた。
 美術館の自然光については、自然光をふんだんに採り入れている美術館が、国内はもとより、世界中にルーブル美術館を筆頭にして数多くある。また近年の技術革新により紫外線カットガラスやコーティング技術などによる対応も可能であり、自然光を問題視し、美術館を新築する必要は全くないのである。
 入場者数が少ないという話は、美術館の広報の問題である。平野政吉美術館では、当時、企画運営費や広報に使える事業費が年間僅か100万円であったとのことであり、これでは十分な広報活動はできなかったと思われる。十分な広報予算を取り、企画展などを充実させることで改善することが十分可能であり、美術館新築の必要性は全くないのである。
 また、現在の県立美術館が、耐用年数に達しているとし、移転賛成の論を県議会で述べた議員がいたが、この議員が、一年後の議会で、現県立美術館(平野政吉美術館)を「美人会館」として再利用すべきだと言っていたのには軽蔑の念を感じざるを得なかった。
 そのほか、空調設備、消火設備が良くないなどと言われたが、すべて現在の美術館において改善できるものばかりであった。
 「はじめに移転ありき」で、後からまるで言い掛かりのように付けられた移転理由ばかりであった。正当で合理性のある移転理由は何一つなかったと言える。

 県や県議会には、先人が築いた良き文化を継承し、後世に伝えようとする意志が見えず、美術館の新築を、ハコモノ行政、土木行政と完全に結びつけて、国や業界の同意さえ得られれば、県民の声は聞かなくても一向に構わないと言う姿勢であるかのように見えた。
 また、美術館移転問題について、県民の声を採り入れるプロセスはなく、先人が残してくれた文化遺産を大切にし、継承したいと願う良心的な県民の声を踏みにじるものであった。

 新県立美術館建設には県有地による相殺分も含め、20億円が費やされている。さらに現在も移転関連事業に億単位の県費が浪費されている。県や議会の責任は極めて重い。

 現在の県立美術館(平野政吉美術館)は、美術館の館内の採光形式や、大壁画「秋田の行事」の展示方法など、平野コレクションの寄贈者で美術館の創設者である平野政吉によって、藤田嗣治(レオナール・フジタ)の意向が忠実に守られ、建てられおり、日本国内でも貴重な美術館である。

 新築された美術館に「秋田の行事」を始とした藤田嗣治作品を移設すると言う「妄想」に等しい考えは止めるべきである。
 新しい街づくりに相応しい、新県立美術館の展示作品、活用方法を新たに考え直すべきだろう。


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2011年12月16日金曜日

安藤忠雄氏が新美術館の設計者になった背景

平野政吉美術館(秋田県立美術館)


建設中の新県立美術館

 2008年(平成20年)9月12日、当時の寺田典城秋田県知事は、秋田市中通に移転新築予定の新県立美術館を建築家、安藤忠雄氏が設計すると発表した。
 安藤氏は、2008年(平成20年)5月に、北秋田市で開催された全国植樹祭の式典会場の設計を担当するなどし、秋田県と繋がりを持ったが、それ以前は、2006年(平成18年)5月に秋田市で行われた「経済・文化フォーラム」にパネリストとして参加したことがある位しか、秋田県とは関わりのなかった人である。この安藤忠雄氏が、なぜ、再開発地域に建設予定の美術館の設計者に選ばれたのだろうか。この設計者選定にあたって、設計競技などによる選考は一切行われていない。

 寺田前秋田県知事と安藤忠雄氏は、全国植樹祭の設計者選定のコンペが公募される2006年(平成18年)9月以前から面識があったとのことだ。(「安藤氏は、6月に北秋田市で開かれた全国植樹祭の会場設計を担当した。寺田知事と安藤氏は、その設計者選定のコンペが公募される一昨年9月以前から面識があり」《2008年11月9日、河北新報》)
 また、2006年(平成18年)5月中旬、全国植樹祭のモニュメント制作依頼の件などで、秋田県の担当者は、安藤忠雄氏と会っている。そして、時をほぼ同じくし、2006年(平成18年)5月29日、県庁若手職員有志による案と言うことで、中央街区再開発計画の二つのプランが発表された。なぜか、2案とも藤田嗣治作品の利用、「秋田の行事」の展示が含まれていた。一般的な秋田県人なら考えない平野政吉美術館(秋田県立美術館)からの藤田嗣治作品の移設を含んだものであり、県民にとって違和感のあるプランであり、誰かしらのアイディア、それも有力者の意向が反映されたのではないかと思わざるを得ない。この「若手職員の案」に過ぎなかったプランは、その後、秋田市、再開発(準備)組合に示され、瞬く間に具体化されていった。
 安藤忠雄氏が新美術館の設計者に選ばれたことを報道した当時の新聞は、「安藤氏は県立美術館に展示している世界的に有名な画家、藤田嗣治の作品に以前から強い関心があり『世界的に有名な藤田作品をもっと県民に知っていただくよう努力する必要がある』と知事に助言した」(2008年9月13日、毎日新聞)と伝えている。従前から、平野政吉美術館所蔵の「秋田の行事」を始めとした藤田嗣治作品に強い「誇り」を持つ秋田県民にとって、この安藤氏の発言は、極めて違和感のあるものであった。
 この安藤忠雄氏の個人的な藤田嗣治作品に対する認識、県の藤田嗣治作品の再開発地区への移設展示案の発表、新県立美術館の設計者に安藤忠雄氏が選定、これらが結びついているように思えてならない。
 
 一方、安藤忠雄氏に設計を依頼したという寺田前知事は、有名人好きであったことが知られている。2002年(平成14年)には、県北部の活性化イベントを唐突にぶち上げ、有名デザイナー・山本寛斎氏にプロデュースを依頼すると発表したこともあった。(議会の反対で頓挫)
 今回の新県立美術館の設計者選定の際も「安藤忠雄氏なら進めたい」とも発言している。
また、表向きには、設計者が決まっていない段階の2008年(平成20年)6月に、県の担当者が安藤忠雄氏を新美術館の建設予定地に案内するなど、始めから安藤忠雄氏ありきであったことが窺われる。
 また、2006年(平成18年)当時、中央街区の再開発計画には、現秋田県知事である佐竹敬久氏が2001年(平成13年)秋田市長に当選してから持ち上がった、千秋公園内の某施設の移転案があった。この施設は、旧秋田藩主縁の品々を所蔵している施設である。この案に、地権者で事業認可権限のある県の寺田前知事がこの施設は、「千秋公園の中にあるべきだ」と異を唱え、その後、県立美術館(平野政吉美術館)の移転案が発表された。
 現在建設されている再開発事業計画は、この話に、千秋公園内の某施設の移築に固執し、県立美術館跡地への移転を望む、当時の佐竹秋田市長(現知事)が乗っただけの話なのである。両者の思惑、タイミングが合っただけで具体化されていった計画なのだ。
 秋田市の中央街区をどういう街にするかとか、中心市街地の活性化に何が有効かとか、あるいは現県立美術館(平野政吉美術館)の建設の経緯や文化的価値、観光資源としての価値を熟慮、検討することもなく、有名人好きで有名な寺田前県知事が、単なる思いつきで、ネームバリューがあると言う理由で、安藤忠雄氏設計ありきの新美術館建設を目論み、土木行政、ハコモノ行政を押し進めようとし、これに県立美術館跡地への某施設の移転新築を目論む(注)、佐竹北家第21代当主である、佐竹敬久前秋田市長(現知事)の思惑が一致し、強硬に進められた計画である。
 また、佐竹氏は、財団法人平野政吉美術館が、移転に原則反対としていた時、「県は県立美術館を整備(移転)すると意思表示した以上、責任を果たしてもらいたい」「移転は4者(県、市、再開発準備組合、秋田商工会議所)協議で既に決まったこと」と発言し、強硬に県立美術館(平野政吉美術館)の移転を主張している。
 このような県民利益からかけ離れた行政が行われるようでは、秋田県民、秋田市民にとって不幸なことと言わざるを得ない。

 現時点においては、建設中であると言う安藤忠雄氏設計の新美術館は、展示内容を大幅に変えるのが最善である。
 近年、美術館の成功例と言われるものは、「スイミング・プール」など子どもが楽しめる展示や現代アートを体感できる金沢21世紀美術館、現代アートによる街づくりをしている青森県十和田市の十和田市現代美術館のほか、安藤忠雄氏設計の香川県直島の地中美術館もジェームズ・タレルやブルース・ナウマンなどの現代アート作品を多数展示しているなど、入館者が観るだけでなく体感することができる、現代アートの展示によるのが多数である。
 秋田市中心市街地の新しい商業施設の隣に藤田嗣治作品を移設しなければならない必然性は全くないし、中心市街地の活性化に寄与すると言う点においては、藤田嗣治作品より、現代アートのほうが有効であると言えるだろう。
 また、歴史を備えた平野政吉美術館(現県立美術館)をこれからも存続させれば、相乗効果も見込めるだろう。
 安藤忠雄氏設計の屋上に水を溜め、眺めることを目的としている新美術館は、中心市街地の活性化のためにも展示内容を大幅に変えることが求められる。県民の作品発表と展示、現代アートの展示を中心としたものに大幅に見直することが必要だろう。
 また、美術館としての安全面を重視し、屋上に水を溜める構造は中止すべきと思う。


(注)2007年(平成19年)9月の秋田市議会で当時の佐竹秋田市長は千秋公園内の某施設の改築について、「県立美術館跡地における改築も視野に、別途検討を要する」と発言している。



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